雨降りの日には

もう梅雨だというのでしょうか?雨が続きケロケロ野郎も隣の田んぼで鳴いています。何となく昔書いた文章が読みたくなりデータを漁っていたらこんなのが出てきたのでアップ。



「嫌な天気ね」
少女は湖に落ちる雨を眺めながら小さな声で言った。
「雨が嫌いなのか」
若い男が訊ねる。長身のその男は赤い傘を右手に持ち、左肩をわずかに傘の外に出している。
「小さい頃は雨が大好きだったの、お母さんの買ってくれた黄色い傘を差して学校に行くのがうれしくてうれしくてしょうがなかった。友達のスクールカラーの黄色ではなくて本当に綺麗な淡い黄色をしていて木でできていた柄の部分には薔薇の花が彫ってあって、傘立ての中に混じっていてもすぐに取り出せたの。みんながうらやましそうに私の傘を見るから得意になって、わざわざみんなの前でかさをくるっと回すと滴はさっととんですごく気分が良かったのよ。でもある日、学校から帰ろうと傘立てから傘を取り出そうとしたら」
少女は話をやめて地面を見つめた。
「なかったのかい」
男が口をはさんだ。
「ううん、カッターで切り刻まれていたの、無惨に。そのまま傘をおいて強い雨の中を走って帰った。雨だか涙だかわからないくらいに泣きながら。家についた私を見てお母さんが「どうしたの」って聞いてきたけれど何もいえなくて。そうしたらタオルとアップルティーを持ってきてくれた。その日から雨が嫌いになって雨の日は学校に行きたくないって駄々をこねてお母さんを困らせたの」
「お母さんは怒らなかった?」
「何も言わずそっとしておいてくれた。学校には調子が悪いって電話をしてくれてそのまま仕事に出かけたわ」
「君は一人で何をしていたの」
「絵を描いていたわ、空の絵を」
「空の絵?」
「そう、どこまでもどこまでも空のてっぺんまで届くような青い絵を何枚も書いて部屋中の壁に貼り付けた。早く雨がやみますようにって」
「雨もなかなか悪くないよ」
若い男は自分の持っていた傘を少女に渡し両肩を雨に濡らしながら空を見上げた。
「すべてを洗い流してくれるから、などと陳腐なことを言う気はないけれどこうしてぬれてみるだけで簡単に自分が負け犬にすぎないって気分にさせてくれる。どんな偉大な政治家だろうが俳優だろうが、雨に濡れただけでちゃちな男に成り下がる」
「負け犬だなんて、あなたの絵はこれから認められて行くわ」
「未来のある若い人間でも老人のような枯れた気持ちにさせてくれるのさ」
「馬鹿ね、そんなこと全然楽しくないわ。そんな気分になるのではやはり雨はいや」
二人は再び歩き始める。雨はやむ気配はなくますます強くなっていく。
「さっきの話だけど私見ていたの」
「何を」
「傘の話。誰かにとられるんじゃないかって心配になって休み時間に見に行ったの、そうしたら傘立てのところに人が立っていたわ。背中しか見えなかったから何をしているのかわからなかったけれどなにやら手に持っていて、後から考えてみたらあのときに私の傘を破っていたのかもしれないって思ったの」
「それが誰だったのかわかったのかい」
「ええ、すごくショックだった」
「仲の良い子だったのか」
男は地面に落ちていた小石を拾うとアンダースローで湖に向かって投げ入れた。小石は水面を飛び跳ねながらいくつかの波紋を浮かべては消えた。
「傘立てのところに立っていたのは担任の先生だったの。女の人でまだ若くてきれいでみんなから好かれていた。声をかけようかなと思ってすぐ後ろまで近寄ったのだけど、背中が妙に怖くて声をかけられなかった。それからなぜ先生があんなことをしたんだろうって考えたけれど小学生の私にはいくら考えてもわからなくて、ただそれ以来若い女の人がどんなに優しく声をかけてきても怖くて返事もできなかった」